美意識の人

美意識の人

いったい、美意識、というものをどれほどの人が大切にしているのだろうかと時々思うことがあります。

少し違うニュアンスですが、「センス」となるとおおかたの人は意識して持っているのではないでしょうか。それは普段の装いとか、好きなアクセサリーとか、あるいは食器とか、インテリアとか、個別のものに対して、多くは自らを飾るものとして、その本領が発揮されるのでしょう。

でも美意識、となるとこれがまた、別もののようです。

美意識とセンスの違いは、それに対する執着心、あるいはこだわり、でしょうか。

たとえば、私自身をとっても、明日はどこかおでかけだからどんな服を着ようか、とか、今日はいい肉を焼くけどどの器に盛ろうか、といったような思いならしょっちゅうあります。でもそれは、「どうしてもこれでなければ」といった思い入れとはだいぶ温度差があります。

美意識のたぐいまれなひとは、ある意味狂信的とも思われるようなこだわりを見せるような気がします。それは芸術家にも近く、でも創造し作る側以上に、魅せられる人にこそ「美意識」がより大きく感じられるのはなぜなのでしょう。

……と、柄にもなく、美意識という言葉にこだわるのは、ひさしぶりにむかしの友人に会ったからです。

彼女は学生時代からかなり「変人」で、友達も少なく、またひとつの群れに入ることをよしとしない気質の人でした。でもなんとなく私とは気があって、ときおり彼女の気まぐれで誘われてでかけると夜を徹していろいろな話をして盛り上がりました。私は当時、文学少女だったので知識だけは人よりも勝っており、彼女と「話の上」だけであれば、けっこう丁々発止、やりあえたからかもしれません。

とはいえ、なんだかんだとごく平凡な結婚をし、日々追われる私と彼女の距離は遠くなるいっぽうで、年賀はがきのやりとりさえ間遠になっていたのでした。

たまたま、間を介した人がおり、再会を果たすと、やはり彼女は結婚はしておらず、ひとりで(たぶん、それほど楽な暮らしではない)好きなようにやっているようでした。

いくつになっても、モノや精神のなんたるかにこだわりを魅せて熱弁をふるう彼女を、私は正直持て余したし、そういう生き方にあこがれも特にはありません。

ただ、彼女の生き方そのもの、ライフスタイルそのものが「美意識」によって支えられているという事実だけが衝撃的でした。

別れるとき、彼女も、私も「また会おうね」とは言いませんでした。しかし、なんとも心に残る再会の一日でした。

アルファードハイブリッド

事前報告してくれない夫

今日は子供を幼稚園のあとプール教室に連れて行き、家に帰ってきてから急いで夕飯の支度をしたので、とても疲れてしまいました。今日は何のご飯にしようとかなり悩んだのですが、家に帰ってからなるべく早く出来るもので、冷蔵庫の整理も兼ねてということでスパゲティにしました。今日はトマト缶で開けてあったものがあったのでそれを使おうと思い、ベーコンと茄子とエリンギをトマトソースであえて、パスタとあえるようにしました。こんなものしかできませんが、子供はとても喜んでくれています。それとは別に小松菜だけ入れた味噌汁もささっと作りました。

夫の夕飯をどうしようかと思ったのですが、パスタをそれなりに多く茹でたので、残った分が丁度大人1人分でした。時間は経ってしまいますが、もっとはいつも何も文句を言わずに食べてくれるのでちょうど良いと思いました。

きちんとお皿に入れて冷蔵庫にしまった途端、携帯電話のメールメッセージがなりました。一体誰だろうと一瞬思ったのですが、メールの発信は夫からでした。

明日、健康診断があるので今日の夕飯はいらないという内容でした。その連絡が来たのが午後の6時半です。もう夫の分も準備をしてしまったあとだから私はとても意気消沈しました。健康診断という事は明日の朝も食べれません。さすがに一晩以上置いてをことができないので、きっと残り物のパスタは私が明日の朝いただくことになると思ったのです。

それは別に良いのですが、もっとからの連絡が妙に遅かったことに腹が立ちました。健康診断は突然決まることではなく、ずいぶん前からスケジュールが決まっているはずです。このほかにもそうなのですが、すべて急に決まった様に連絡をしてくるところが夫にはあるのです。そういうことも含めて急に腹が立ってしまいました。

事前に決まっていることであれば、分かった時点で早めに伝えて欲しいと前から言っているのです。それなのになかなか何年たっても改善してくれない彼の欠点を、今後どうしていったらいいものかと思います。また、こんなことで文句を言って契約な雰囲気なるのも嫌ですし、私がただずっと黙って耐えていればいいものか、それはそれでそうもいきません。

やはり小さい不満も爆発する前に細細と正直に話したほうがいいなと思いました。